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ありがとう。第十一寿恵丸
私が第十一寿恵丸に出会ったのは25歳くらい。
父の船は当時、数字をつけていなかったが、
日笠山家は歴船「寿恵丸」を継承してきた。
私はその歴船数から「第十一寿恵丸」と名づけた。
寿恵丸の「寿恵」は祖母の名前。
優しく厳しい。一本筋の通った「薩摩おごじょ」だった。
あれから24年。
鹿児島の食文化を支える甑島のきびなご漁師として
誇りと命を懸けて第十一寿恵丸と共に海と向き合ってきた。
不漁時に海に出ても、きびなごが獲れた。
高波に襲われても無事に帰航することができた。
私の腕もあるかもしれないが(笑)よく私についてきてくれたと思う。
私には全国の子供たちに美味しいきびなごを食べて
笑顔になってもらいたいという夢がある。
そして、甑島はきびなご漁師が高齢化と後継者不足で廃業し
海から去っていく現実がある。
より多くのきびなごを獲る。
鹿児島の食文化を支える甑島の漁師としての誇りを胸に
新しい「寿恵丸」を迎える決意をした。
新しい寿恵丸との歴史が始まる。
名前は第十二寿恵丸。
これからよろしく。
そして第十一寿恵丸。
今までありがとう。
前第十一寿恵丸船長
第十二寿恵丸船長
日笠山 誠
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